人生のほとんどは写真に残らない。

f:id:keitaf31:20170809110821j:image

 

今の仕事を始めてからというもの、(それまでもかもしれないが)写真をよく撮るようになった。

 

その土地の魅力を見つけて発信する。

 

その際に写真や動画は必須で、SNSサービスの利用は避けられない。

 

だから、きれいだなと思う瞬間や、心地よいなと感じた瞬間には自然にスマホに手が伸びる。

 

写真をアップすることで、遠く離れた友人や会ったこともない他人に自分の生活を知ってもらったり、土地の魅力を伝えることができるようになった。

 

フェイスブックやインスタの投稿を見て、「いろんなところに行って楽しそうだね」と言われることもある。

 

けど、当たり前のことだが、そこに上がっている写真たちは僕の人生や世界のごく一部の断片を切り取っただけだ。

 

たしかに人生の充実度を測るような術があるなら、他人に発信したくなる場面が多いことは、かなり参考になる指標だと思う。写真(とそこへ加える一言)をみれば、その人の人となりが見えてくる。

 

けど、タイトルのように「人生のほとんどは写真に残らない」。

 

写真に写った場面が結果であるなら、そこへ至るプロセスが人生のほとんどだ。

 

なぜその場所へ行ったのか。

なぜその瞬間を残したくなったのか。

なぜ達成できたのか。

 

そんな見えないたくさんの断片で世界ができていることを忘れないでおきたい。