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怒ってはいけない。

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僕は、基本的に怒ることがないです。

 

不機嫌になったり、いらいらすることもありますが、、

声を荒げて怒るようなことはないです。

 

ずっとサッカーしてたんですけど、

いくら相手に理不尽なファウルをされても、基本シカトしてました。

 

怒っても仕方ないので、淡々とプレーしてました。

これは、小学生くらいからずーっとです。

 

審判とか相手に文句言ったりしてるのを見ると「だまれよ」って心の中で思っているタイプでした。

 

とにかく感情を乱したりするのが嫌な性格なんだと思います。

 

 

最近でも、改めて「怒り」っていらないなーって思うのです。

 

できるだけ穏やかに生きたいし、怒るのってしんどいです。

 

仏教では「怒り」の感情こそが、もっとも実害をもたらすと考える。

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仏教では、「行」が行われますが、行によって心を落ち着かせるときに、どの感情をターゲットにするかというと、「怒り」なのだそうです。

 

仏教では、「怒り」という感情こそが、あらゆる感情の中で大きく人間の能力を損なう実害であると考えます。

 

初期仏教の重要な経典である「スッタニパータ」の中でも、「怒ってはいけない」ということが繰り返し繰り返し語られているのです。

 

 

 

ちょっとこれについて考えてみた・・・

 

仏教における「怒り」は、僕たちが「怒り」とか「怒る」っていう言葉で考えている感情よりも、もっと大きな心の動きを対象としているようです。

 

貪・・痴の「三毒」

 

仏教では、怒りを「」と呼びます。

これに欲深さを表す「貪」と、無知を表す「痴」を合わせた三つが人間が克服するべき煩悩であるといわれています。

この三つの煩悩を取り払う必要がありますが、「貪」と「痴」は、「瞋」と結びついているのです。

 

ですから、「瞋」つまり、「怒りを静める」ということが最も大切なのです。

 

不安や妬みも「怒り」すなわち「瞋」である。

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たとえば、上司からの心無い一言に「カチンとくる」というものや、「殴ってやりたい」というような激しい怒りは「怒り」としてイメージしやすいですね。

 

けど、「瞋」には、僕たちがふだん「怒り」として認識していないものも含まれるようです。

 

たとえば、「不安」もそうです。

どんな不安でも、その奥には「怒り」があります。

 

つまり、不安という自分が勝手にした「未来予想」に対する怒り、「なんでこんな目に合わないといけないんだ」という怒りが、不安の奥にはあるのです。

 

他にも、妬みや軽視などの、人を見下す気持ちや「暗い気分」というものも、怒りの表れです。

 

問題は、「怒りそのもの」がもたらす害。

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「怒り」って、まあ、暗い気分になるし、人間関係も悪くなるし、あんまりいいことってないですよね。

 

けどいちばんの害は、「怒ること」それ自体にあります。

 

ふだんの日常を思い返してみると、家族や友達との会話の行き違いや、電車の乗り降りでのストレスなど、些細なことで僕たちの心には怒りが生じます。

 

どの程度のものであれ、怒りは、「それ自体」が心にダメージを与えているということを忘れずに置きたいです。

 

仏教では、「怒りによって何か現実的にマイナスが生じる」ということだけではなく、「怒りそのもの」が心にダメージを与えていることを、より本質的な問題と考えます。

 

気づくことで「怒り」の八割は取り除ける。

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怒りを人生からできるだけ取り除くためには、まず、「自分の怒りを観察する」ことからです。

 

自分の怒りを冷静に見つめることができれば、その瞬間にもう怒りの八割は消え去っているといっても過言ではありません。

 

怒りに「気づく」「認識する」ということは、すごい些細なことのようで、気分も周囲とのコミュニケーションも劇的に変わります。

 

だから、はじめから「怒らないようにしよう」「怒りを払拭しよう」ではなくて、まず怒っている自分を見つけることから始めることですね。