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いつか死ぬと思ったら、いろんなことがどうでもよくなった。

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年末ジャンボに当たろうが

会社で大きなミスをしようが

学校でいじめられようが

大きな大会で優勝しようが

大企業に就職しようが

世界一周しようが

彼女に振られようが、、

 

 

 

 

 

 

いつかはどうせ死ぬ。

 

 

それを考えると、ほんとうにいろんなことがどうでもよくなるときがある。たぶん、よくない意味で。

 

 

先日、近しい友人が亡くなったんです。

 

(この話するかどうか迷ったけど、残しておこうと思う。すぐ消すかも。)

 

 

友だちから電話がきて事情を聞いて、少しぼーっとしてから、涙が止まらなくなりました。

 

2日間くらいは、ずーっとその事ばかり考えていて、ずっと暗い気分でした。

 

誰かと話していても、どこにいても、どうでもよく感じていました。映画をみたり、本を読んだりして考えないようにしました。

 

その友達とは、いっしょに遊んだこととか、部活したこととか、学校でのこととか、いろんな思い出があります。つい、1ヶ月前も会っていました。

 

おじさんになってからまた一緒に飲みたかったとか、これからあるはずだった未来がないって、考えると涙が出ます。恐くなりました。なんて言葉にすればいいのかわからないけど。

 

 

通夜、告別式と、たくさんの人がお別れをしに駆けつけました。

  

 

それまで近い人の死といえば、僕は、母方と父方の祖父が亡くなっています。

 

そのときも辛くて泣いてしまったけど、同世代の友人が亡くなるのは、全然感じ方が違います。まだ26歳でした。

 

 

ぼくにとっては、この年の瀬に改めて「生きる」ということを考える機会になりました。

 

 

若いとか、歳をとっているとか、肩書きとか、宗教とか、金持ちとか、関係なく、すべての人がいま生きている。

 

生きるっていうのは、いろんな感覚を味わうことだと思っています。25年間いろんな感情や感覚を感じて、いまの自分があります。もちろんそれは、楽しいだけではないし、辛いばかりでもありません。生きるっていうのは、そういった感覚を感じ続けることです。

 

 

生と死は、表と裏のような関係ではなくて、人生には常に生と死のどちらも混ざっている。どちらも本質的には同じ。その濃度の問題。そんな感覚です。

 

「生きたい」という気持ちと「死にたい」という気持ちも混ざっているものだといいます。もちろん、大抵の人は生きたい。けど、一方で、人生にスリルや緊張感も求める。だから、ギャンブルやスポーツもするのです。生の反対にある危険や死を覗くことで「生」を感じられる。

 

 

いつか死ぬと思うとどうでもよくなった。けど、どうでもいいからもう適当でいいや。だらだらしよう。ってなるのはやっぱりよくないなと思いました。

 

そうじゃなくて、いつか死ぬからやりたいことやろうって前向きに考えようと思います。

 

どう生きたって後悔は残るし、どれが正解かもわからない。けど、たしかにぼくは「いま、ここ」にいる。